明治時代以降 神楽坂は
山の手随一の高級花街として発展しました。
政治家や文豪、財界人が集まる料亭街として
神楽坂の石畳は
単なる道ではなく
花街の繁栄と文化の象徴として作られ
今も大切に守られているのです。

毘沙門天STORY 01

慶長2年に徳川家康公の許可を得て善國寺は現在の神楽坂の地に移転しました。

毘沙門天は、仏教の守護神である四天王の一尊であり、多聞天(たもんてん)とも呼ばれます。特に財宝と福徳、戦勝(勝負事)の神として知られています。

当時の神楽坂はまだ武家地と町人地の境界に近い場所でしたが、この移転により、江戸城の西を守る重要な寺院としての地位を確立しました。

赤城神社STORY 02

赤城神社は鎌倉時代に、神楽坂周辺を治めた牛込氏が武蔵野の総鎮守として故郷の赤城山の神を勧請し、この地に創建したのが始まりとされています。

主祭神の岩筒雄命は、武勇と開拓の神として知られ学問や技芸の上達にご利益があるとされます。

また、相殿神の赤城姫命は特に女性の願い事に霊験あらたかとされ、縁結びや安産、良縁成就にご利益があると信仰されています。

STORY 03

神楽坂の歴史は江戸時代初期に遡ります。江戸城防衛の要であった牛込御門の外堀に接する坂道で、当時は周辺に大名や旗本の武家屋敷が立ち並ぶ地域でした。名の由来は、近隣の赤城神社や津久戸明神で奉納される「神楽」の音が、この坂まで聞こえてきたことにちなむ説などが知られています。

明治時代に入ると、武家地としての役割を終え、街は大きく変貌します。商業地へと移り変わり、やがて東京でも有数の華やかな「花街(かがい)」として発展しました。石畳の入り組んだ路地裏(横丁)には料亭や待合が軒を連ね、黒塀が続く粋な街並みが形成されました。また、夏目漱石や尾崎紅葉ら多くの作家が近隣に居を構えたことから、「文豪の街」としても知られるようになります。